「杜子春」(芥川龍之介)

「仙人」はもともと「人」なのです

「杜子春」(芥川龍之介)
(「蜘蛛の糸・杜子春」)新潮文庫

「杜子春」(芥川龍之介)
(「芥川龍之介全集4」)ちくま文庫

洛陽の西門の下で
三度不思議な老人と
まみえた杜子春。彼は
財力があるときは
ちほやするものの、
一文無しになれば
手のひらを返す人々に
愛想を尽かしていた。
彼はその老人を仙人と見抜き、
自らも人を捨て
仙人となることを望む…。

以前、芥川龍之介の「仙人」二作
(「仙人(1915)」「仙人(1922)」)を
取り上げました。
本作「杜子春」もまた「仙人」の物語です。
多分、日本人なら、直接読まなくても、
絵本・紙芝居・TV番組等、何らかの形で
接した経験を持っているはずですから、
あらすじを紹介する必要は
ないのかも知れません。

「仙人(1915)」ほどではありませんが、
本作の仙人・鉄冠子もまた
気まぐれです。
「どこか物わかりの
好さそう」というだけで、
杜子春を二度までも
大金持ちにしてしまいます。
その一方で「もしお前が黙っていたら、
おれは即座にお前の命を
絶ってしまおうと思っていたのだ」と、
殺す算段もしてあるのです。
人の一生を自由にできる、
あたかも生殺与奪の権を
有しているかのごとき言い様です。
仙人とは
神にも等しい存在なのでしょう。

しかし、仙人は神ではありません。
人が解脱し、神に近づいたものとして
中国の民話では描かれているようです。
「仙人」はもともと「人」なのです。
鉄冠子によって
峨眉山の頂に座らせられた杜子春は、
さしずめ仙人採用試験の
受験生と見ることができます。

杜子春は、畜生に変えられた父母が
拷問を受ける姿を目の当たりにし、
ついには声を上げてしまいます。
鉄冠子の試験に、
彼は不合格となるのです。
でも、ちょっと考えると
これは不合理であることがわかります。
声を出さなければ
命を奪われていたのですから。
この試験には、
最初から合格はありえないのです。

そこで生じる疑問があります。
この試験に合格しうる
模範解答とは何か。
仙人になる方法が他にあるのか。
そもそも鉄冠子は
どうやって仙人になったのか。

それに対する芥川の一つの答えが
「仙人(1922)」なのかも知れません。
権助のように欲を持たないことが
解答例の一つと考えられます。
解脱とは人間界の欲の一切を
捨て去ることなのですから。
まあ、だとすれば
人は仙人にはなかなかなれないと
いうことなのですが。

芥川の仙人三編。発表順に
「仙人(1915)」
→「杜子春」→「仙人(1922)」と
読み進めるべきなのかも知れません。

※新潮文庫版の「蜘蛛の糸・杜子春」には、
 「仙人(1922)」を含め、
 「蜜柑」「魔術」「トロッコ」
 「猿蟹合戦」「白」など、
 子どもに安心して薦められる
 作品ばかりが集められています。
 中学生にぜひ薦めたい一冊です。

(2020.3.1)

JLB1988によるPixabayからの画像

【青空文庫】
「杜子春」(芥川龍之介)

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